和歌を作る目的は、第三者に知ってもらい、感じてもらう事と思います。

第三者が読み、声に出して歌い、味わって、始めて和歌によるコミュニュケーションが成立します。
ですから、披講される和歌は独りよがりなものでは無意味であり、第三者が作者の意図や気持ちを理解し、感じられるものである必要があります。

私は初心の頃、この点を大きく勘違いをしており、和歌は自身の心の中を吐露出来れば良いと思っていました。
他人が自分の和歌を理解出来ないのは、その人の感性や知性が足りないのだと、大きな間違いをしておりました。

どのような和歌であれ、第三者に伝わって、始めて和歌がコミュニュケーションのツールとして機能し、伝えられるものになります。

自身の心象が、正しく第三者に伝わるから、心を動かす事が出来ます。

ですから、作歌した和歌は、必ず第三者に読んで貰い、不明な点や誤解を招く点は修正される必要があります。

私達の学習会では、青柳先生、兼築先生という専門家の素晴らしい先生方がおり、適切な添削を受けられる恵まれた環境にあります。
両先生に見て頂けなくとも、身の回りの誰かに見て貰い、正しく作歌の意図が伝わるものである事を、歌を提出し、披露する前に行いましょう。

第三者による確認や、添削を経て、始めて和歌が伝わるものとして機能出来ます。

第三者の意見や批評を受ける事が、上手になる一番の早道です。

日頃の生活が忙しい、作歌出来る時間が無い、題が難しいなど、様々な困難が作歌に伴うと思います。

しかしながら、拙くても、不十分な内容でも、より多くの歌を作る事が上達への早道でもあります。

作歌は、減点ではなく、可点制です。

どれほど、駄目な歌を作ろうが、一つでも良い歌が出来れば良いのです。
沢山の失敗作の上にこそ、良い歌への道であり、そこへ至る積み上げであり、良い歌の基となります。

星と森披講学習会 会長 大原 稔