歌病(かへい)
去り嫌ひ(さりきらい)
古来、和歌を論じた歌論書には、歌の病や去り嫌ひとして、作歌に於いて避けるべき様々なものが挙げられています。
その中では、今では問題にされないものもありますが、歌合わせや題詠で注意するべきものを紹介します。
<同心と同字>
和歌は、三十一字の中で表現する必要がありますので、冗長な表現や、言葉の重なりは避ける事が望ましいです。
古来、このような冗長表現を「同心」「同字」として、避けるべきものとされています。
歌論集の『俊頼髄脳』より、例をあげます。
同心は、違う言葉であるが、同じ事を言っている場合。
「もがり船 いまぞ渚(なぎさ)によするなる 汀(みぎは)のたづの こゑさわぐなり」(拾遺抄 雑歌)
この歌では、渚(なぎさ)と、汀(みぎは)と言葉は異なりますが、同じ意味なので同心病とされています。
同字(文字病)は、異なる意味ではあるが、同じ文字を使っている場合。
「今こむと いひしばかりに なが月の ありあけの月を まちいでつるかな」(古今 素性)
なが月は暦の月、ありあけの月は天体の月で、異なった意味ではありますが、同じ文字になっています。
このように、勅撰集に採られた有名な歌でも同心、同字の指摘がある場合があります。
俊頼髄脳では、この例を「人の容貌すぐれたる中に、ひと所おくれたる所みゆれども、曲(くせ)とも見えぬが如し」と書いています。
このような例外は、歌の上手の作だから「曲とも見えぬ」といえるのであり、初心の人は推敲し、避けられるものならば、避ける事を意識すべきです。
病になっても、良い歌だという自信があって、同字、同心をあえて使う場合が可能と理解した方が良いでしょう。
特に歌合では、難陳で指摘されれば、良い歌でも致命傷になる場合がありますので、注意が必要です。