「歌はただよみあげもし、詠じもしたるに、なにとなくえんにもあはれにもきこゆる事のあるなるべし」 藤原俊成

東京成徳大学教授 青柳隆志

「歌はただよみあげもし、詠じもしたるに、なにとなくえんにもあはれにもきこゆる事のあるなるべし」。

藤原俊成が『古来風体抄』の序文に記したこの言葉は、和歌の本質が「うた」うものであることを見事に表しています。もともと、短歌形式は、上代の歌謡のなかから生まれてきたもので、はじめはもちろん節をつけて歌われていたと考えられます。『万葉集』のなかにも、職業的な「歌い手」と見られる「伝誦者」の記録があり、口頭で歌われていたことは明らかです。平安時代の和歌が、どのように詠じられていたのかははっきりしませんが、『源氏物語』や『枕草子』にも、和歌の一部を吟ずる記述が数多く見られますので、やはり当時の人々は、和歌を目で読むばかりでなく、耳からも聞いて鑑賞していたわけです。こうしたことは、歌を作る際にも、当然意識されていたことでしょう。歌には、おのずからなる調べというものがあり、それは口に出して歌ってみてはじめて確かめられるものです。

私たちは、和歌の「披講」の実践を通して、こうした、和歌の本来あるべき姿を探っていくことを、最終的な目標にしています。

東京成徳大学教授 青柳隆志

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