披講とは何でしょうか?
和歌の披講とは、新しく作られた和歌を読み上げたのち、節をつけて歌うことをいいます。和歌の発生当時からこのような口頭での披露は行われていたと思われますが、「披講」と呼ばれるようになったのは鎌倉時代以降です。和歌だけでなく漢詩の場合も同様に「披講」といいます。似たような言葉に「朗詠」がありますが、これは有名な漢詩に節をつけてうたう歌謡の一種で、「披講」とは区別されます。有名な和歌を口ずさむことも、同じような意味で「披講」とは呼ばず、たとえば「吟詠」などということがあります。
披講とはどんなふうに行われるのでしょうか?
和歌の場合は、「歌会」や「歌合(うたあわせ)」などの場で、基本的に一回読み上げてから二回目に歌う、というのが基本形になっています。読み上げるだけで歌うほうを省略したり、繰り返し歌ったりというバリエーションもありますが、ほとんどの場合、基本形で行われます。披講は、新しく作られた和歌をその場で披露し、参会者に伝えることが最大の目的であるため、はっきりと読み上げて歌の内容を正しく伝えることが必要になります。節をつけて歌うのは二次的なもので、それによって和歌をより深く味わうことができます。
披講の読み上げはどんなふうに行われるのでしょうか?
和歌を五・七・五・七・七の五つの句に区切って、切れ切れに読み上げます。この時の声を「指声(さしごえ)」とか「切声(きりごえ)」などと言っていました。しかし、ただ棒読みにするのではなく、「黄鐘(おうしき=洋楽のA)」の高さで読んだあと、残りを長くのばし、最後の所をやや上げて休止する、という形で進行します。句ごとの休止がとても長いので、講師が歌詞を忘れてしまったのではないか、と思われるほどですが、このことによって、歌の言葉が余韻をもって、よりよく吟味できるわけです。なお、第四句と五句は続けて読みます。
披講で歌う場合の節は昔から決まっているのでしょうか?
現在わかっている限りでは、室町時代の中頃、十五世紀なかばの楽譜がありますが、現在伝えられているものとはだいぶ形が違っています。但し、甲調・乙調・三重などの節の名前がこのころから見えるので、いくつかの節があったことは確かです。現在、綾小路流では「甲調」「乙調」「上甲調」、冷泉流では「乙調」「甲調」「乙ノ乙」「乙ノ甲」という節がありますが、この両者の間でも、似ているところと、そうでないところがあります。
披講は何人で歌うのでしょうか?
基本的には、読師、講師、発声、講頌の四つの役があり、講頌は複数であることが多いため、四名以上ということになります。たとえば、宮中歌会始では講頌は四名いるため合計七名となります。「読師」(どくじ)は歌道の達人から選ばれ、和歌の懐紙を広げて示す司会・進行の役、「講師」(こうじ)は和歌を読み上げる役、それを受けて、和歌に節をつけておもむろに歌い始めるのが「発声」(はっせい)で、第二句から合唱に加わるのが「講頌」(こうしょう)です。
披講はどうやって勉強するのでしょうか?
和歌の披講は「君が代」の歌詞で練習する場合が多く、明治につくられた日本の国歌「君が代」には、この披講の影響が強く表れています。なお、宮中歌会始を担当する「披講会」では、「君が代」の甲調、乙調、上甲調で練習し、冷泉家では「君が代」の元の歌にあたる「我が君は」(古今和歌集・賀)で練習を行います。なお、練習では基本的に譜面は使用せず、初心者の心覚えとして、古い形の直線・曲線の譜を使うこともありますが、五線譜は、披講の細かい節回しを伝えられないので、使用しないことになっています。
「万葉集」や「源氏物語」の頃にも、和歌は歌われていたのでしょうか?
「万葉集」には、職業的な「歌い手」と見られる「伝誦者」や、宴席で楽器を用いて愛唱の和歌を歌っている例などがあり、また「源氏物語」や「枕草子」にも、和歌の一部を吟ずる記述が数多く見られるので、当時の人々は、和歌を目で読むだけでなく、耳からも聞いて鑑賞していたと言えます。当然、歌を作る際にも、その和歌が聞き手にどのように聞こえるかは重要なことであったはずで、たとえば、生涯四十回近く披講の講師を務めた藤原定家のような歌人には強く意識されていたと考えられます。
宮中歌会始で披講しているのは誰ですか?
和歌の披講は古来、宮廷貴族である歌人や楽人が担当してきたため、明治以降も、いわゆる「華族」の家系の人々によって伝えられています。社団法人「霞会館」(もと「華族会館」)の会員の有志によって「宮中歌会始披講会」(会長・堤公長氏)が構成され、宮内庁の非常勤嘱託として、宮中歌会始の所役を務めています。また、読師は毎年交代し、これも旧華族のなかから選ばれて役を務めます。
宮中歌会始で和歌が繰り返し歌われるのはなぜでしょうか?
和歌の披講は読み上げと歌唱がそれぞれ一回ずつが普通ですが、作者の身分や和歌の出来栄えに応じて、繰り返し歌われることがあります。これは、作者に対する敬意や賞賛を表す行為です。臣下の歌の披講が終わると、懐紙が取り片付けられ、天皇(もしくは皇族)の御製が披露されます。あらたに御製読師・御製講師が指名されて、同じようにして読み上げますが、繰り返しの回数は七回がふつうでした。現在は天皇陛下が三回・皇后陛下が二回です。講頌の終了後、陛下の御製は、当座の最上位の貴族が拝領して持ち帰る習慣がありました。